(どうして、こんなことになっているんだろう……)
 行人はぼんやりとそんなことを考えながら、目の前の出来事を眺めていた。
 行く人の目の前で、半裸姿のすずが行人に見せ付けるように股を開きながら、一心に自分の秘所を弄っている。
 薄暗い月明かりに照らされたその光景は、すずの白い肌をぼんやりと浮かび上がらせ、どこか現実離れした雰囲気すらあった。
「行人ぉ…おかしいの…さっきから、ここが痒くて、むずむずして、止まらないよぉ…行人ぉ…行人ぉ…」
 うわ言のように行人の名前を繰り返しながら、すずが自分の秘所を弄る。
 拙い指使いで、ただ秘所をこするだけの動き。それだけ満足できる筈がないのに、性知識のまるでないすずはそれ以外の方法が分からず、ずっと同じ動きを繰り返している。
「切ないよぉ…どうしておさまらないのぉ…助けてよぉ…行人ぉ…行人ぉ…」
 行人の名を呼ぶたびに、すずの体がわずかに震える。気づいているのだろうか、それとも無意識の行動だろうか、行人の名を呼ぶことはすずの興奮を僅かに増大させていた。
 だが……
「行人ぉ…行人ぉっ…行人ぉっ……」
 足りない。それだけでは満足できない。でもそれ以上どうすればいいのか分からない。
 だからすずは何度も行人の名を呼び続ける。まるで、何かを期待するかのように。
「すず……」
 行人は、すずの痴態に視線を釘付けにされながらも、知らず内に右手で自分の固くなったペニスを扱いていた。
 熱病に浮かされたようにすずを見つめながら右手を動かし続け、それでもわずかに残った理性でまたぼんやりと考える。
(本当に、どうして、こんなことに……)



 …………………………………………………
 ………………………
 ………


時は朝まで遡る。
「うーっ……なんだか、サムイよぉ……」
 その日、非常に珍しいことであるが、すずが風邪を引いた。
 すずは布団に寝込んでおり、その様子を傍らに居る行人ととんかつが心配そうに見守っている。
「まぁ、あれだけずぶ濡れになってたんだから仕方ないよ」
 行人は苦笑しながら、洗面器から取り出したタオルを絞った。
 昨日、すずは全身ずぶ濡れの状態で帰ってきた。珍しくあやねの罠に引っ掛かってしまったらしい。
 ずぶ濡れ姿のすずを見た行人は、既に島の名物になりつつある鼻血を盛大に噴出した後で、慌ててすずに羽織るものを用意して風呂を沸かした。以前の行人なら鼻血を出した時点で気を失っていたことを考えると、多少の成長の跡が伺える。
 だったら鼻血を噴かずに済むようになれと思われるかもしれないが、そうなってしまったら行人ではない。
 とにかく、そんな風に応急処置をして、念のためその日は夕食を早く切り上げて早めに就寝したのだが、その甲斐空しくすずは風邪を引いてしまったのだ。現在行人はそんなすずを看病している真っ最中である。
(すずだって女の子なんだし。こんな時こそボクがしっかりしないと)
 そんな決意を固めつつ、絞ったタオルをすずの額にのせる。
 タオルが乗せられるのを待ち構えるように、ぎゅっと目を瞑って硬くなっているすずの様子が可笑しくて、行く人はつい笑ってしまった。
「もう〜、笑うなんて酷いよ」
「ごめんごめん」
 すずの抗議の声もどこか大人しい。やっぱり熱のせいでいつもの元気がないのだろう。
 その様子に、人の良い行人は(笑ったりして悪かったな)と内心で反省する。
「今日の仕事はボクに任せて、すずはゆっくりと休んでてよ」
「…でも、行人一人で本当に大丈夫?」
 風邪のせいではなく、本気で不安そうに行人を見るすず。
 すずが心配性だということもあるが、行人がイマイチ頼りないと言うのも事実だ。また、行人を一人で行動させることに対する不安もある。お目付け役のすずが傍いないことをいいことに、行人に迫ろうとする者が出ないかを無意識で警戒しているのだ。
まだ恋の自覚はないが、すずは結構ヤキモチ焼きであった。
 が、我等が行人君は恋愛系ゲームの主人公の如く鈍感で、すずの言葉の裏にある不安まで読み取ることはできなかった。
「ボクだってこの島に着てから半年以上経ってるんだから、今日一日くらいなら大丈夫だよ」
「でもぉ〜」
 まだ納得以下なそうに頬を膨らませるすず。
 行人はそんなすずの鼻の頭に人差し指の先をぴっと押し付けた。
「とにかく、すずは今日一日家でゆっくりと休むこと!病人の仕事は家で休むことなんだから」
「うー……分かった」
 ちっとも納得が言ってない様子の声だったが、とりあえずすずが理解の言葉を口にしたことに満足して、行人は出かける準備をした。
「じゃ、ボクはもう出かけるから。とんかつ、留守番を頼んだよ」
「ぷ!」
「うー…気をつけてね」
 まだも不安そうなすずの声に行人は(まったく、すずは心配性なんだから)と苦笑しながら家を後にした。

結果から言えば、行人の仕事はつつがなく終了した。
 無論、すずが居ない隙を狙って行人に迫ろうとする者は居た。居た…が、そもそも、その程度でどうにかなっているのだったらとっくに行人は島の誰かといい仲になっていただろう。ある者は自爆し、ある者は邪魔され、またある者は行人の超人的な鈍感力によってスルーされ、
誰一人この隙に出し抜いて行人に近づける者は居なかった。
 が、問題は仕事を終えた後に起こった。
 行人は仕事を終えた後、家に帰る前にオババの所に寄ることにした。すずのために風邪薬をもらって行こうと思ったのだ。
「こんにちはー。オババ様、居ますかー」
「あ、行人クン。どうぞ上がってくださいー」
 オババの家に着いて呼びかけると、みちるのどこか間延びした声に迎えられた。
 かって知ったる他人の家、とばかりに行人は声にこたえて家に上がっていく。島の全員が知り合いであるため、防犯に対する意識は非常に薄かった。声をかける行人はまだましで、ほとんどの者が断らずに勝手に家に上がるくらいだ。
 居間に向かうと、部屋の真ん中でみちるが女の子すわりをして行人を待っていた。因みに、みちるには若干床ズレの跡があり、今まで部屋で寝転んでいたことが伺える。みちるは、自他共に認める出不精だった。
「みちるさん、こんにちは。オババ様は?」
「それが、丁度出かけていらっしゃるんですよ。私に出来る用事なら私が受けますけど」
 他ならぬ行人さんのことですし、と胸の前で小さくぐっと拳を握るみちる。その態度があまりに可愛らしかったため、行人はなんとなく気恥ずかしくなって目をそらした。特にみちるの場合は、どことなく妹の美咲と顔立ちが似ているから余計にそう感じてしまう。
「ええと、じゃあお願いできるかな。実は、すずが風邪を引いちゃって、それで風邪薬が貰えたらと思ったんだけど」
「風邪に効く薬ですか……ああ、それならいいものがあります」
 ちょっと待っててくださいと行人に断って、みちるは薬の保管部屋に行った。
「ええと、確か……これ、ですよね?」
 薬棚を確認し『精』と言う文字が書かれた棚を空けて薬瓶を取り出す。語尾が疑問系なのが非常に気になるところだ。
「同じ飲み薬みたいだし、多分間違いがない筈です」
 『多分』とか『筈』とかフラグをたてまくりなのだが、みちるは深く考えずに大丈夫だと決め付けて、その薬を行人の下にもっていった

「はい、この栄養剤をすずさんに飲ませてください。飲み薬ですから、薬嫌いのすずさんでも簡単に飲めると思いますよ」
「え?栄養剤なの?」
「はい、そうですよ。そもそも、風邪の特効薬なんて存在しないんです」
 行人の疑問に、みちるはえっへんと胸をはって説明を始めた。強調されたボリュームのある胸の膨らみに、行人はまた顔を赤くして目を逸らしてしまう。
「風邪は似た様な症状であっても原因となるウイルスは千差万別ですから、特効薬を作れないんですよ。一番の治療法は、たっぷりと栄養をとってしっかり休むことなんです。この薬をのんでぐっすり休めば、風邪なんてあっという間に治っちゃいますよ」
 それを聞いて、行人は珍しく少し意地悪な発言をした。
「そうなんですか。いつも休んでいるみちるさんが言うと説得力がありますね」
「う……」
 みちるは思わず返答に詰まってしまう。行人はみちるの床ズレの跡にしっかりと気づいていたのだ。鈍感を地でいく行人だが、こう言う観察眼は結構鋭かったりする。推理小説を好む彼は、無意識に人の様子を観察してしまう癖があった。
その能力が相手の心情を察する方向にも発達していれば、今頃誰かといい仲になっていただろうに。
「い、いつもじゃないんですよ。今日だって、一仕事終えた後で、ちょっとゆっくりしていただけですし…その…」
 行人のジト目に、みちるの言い訳の言葉がどんどん小さくなっていき、しまいには何も言えなくなってしまう。
「みちるさん」
「…はい」
「サボってばかりいると、また皆から忘れられますよ」
「うっ……き、気をつけます」
 がっくりとうな垂れるみちるを見て、言い過ぎたのかと思ったか行人は慌ててフォローを入れる。
「いやいや、ちゃんとしてれば誰も忘れたりしないですって。少なくともボクは絶対に忘れませんから」
「行人クン……ありがとうございます。わたし、頑張りますね!」
 みちるが眩いばかりの満面の笑顔になり、行人はまたまた真っ赤になって目を逸らしてしまう。もし、この場にすずがいたら確実に不機嫌になっていたことだろう。
「じ、じゃあ、ボクはこれで。今度は外で会えることを期待してます」
「え?えーと、頑張りますけどすぐには難しいかもしれませんと言うか…じゃなくて、その…また来てくださいね」
 外で会うと言う約束をせずに別れの挨拶をするみちるに、行人は仕方ないなぁと苦笑を返してすずの待つ自宅へと向かった。
 みちるから受け取った薬をしっかりと手に持って。

 ――当然、その薬が全ての元凶な訳なのだが、今の彼には知る由もなかった。