「…………! …………!」
行人が水汲みをしていると、遠くから声がした。
地鳴りのような音と、距離がある時特有の広がったような声が聞こえてくる。
それは声の主が坂の向こうから姿を現すと同時に聞き取れるようになっていた。
「行人さま行人さま行人さま〜〜〜〜〜〜!!」
白と藍色の巫女服を着たあやねが、全力疾走でやってくる。
「あやね!?」
その猪突猛進な勢いに驚いた行人に構わず、あやねは
「行人さま行人さま行人さま〜〜〜〜〜〜!!」
ダッシュした勢いをそのままに行人に抱きついた。
水桶が子を描いて飛んでいき、陽の光を受けて虹を作る。
「行人さまっ!!」
仰向けになった行人を四つん這いになって見つめながら口を開いた。
珍しく何を企むでもないとびっきりの笑顔で、瞳を輝かせている。
「いてててて……なに、あやね、どうしたの?」
頭を擦りながら尋ねる行人に、あやねは笑顔で答えた。
「私、今日誕生日なんですっ!」
「へ? そうなんだ。……誕生日おめでとう、あやね」
地面に寝転がったままで、笑顔で祝福する行人。
照れ笑いするあやねは、
「これで島一番の美少女にさらに大人の魅力が加わってしまいました。
 い・き・お・く・れ、のお姉さまと違って適齢期のお姉さんです!」
命知らずなことを行って、まだまだ薄い胸を張る。
行人は「そんなこと言って、知らないぞ〜」と苦笑しながら木陰に場所を移した。
「でも、それじゃあお祝いしなきゃだね。何かプレゼント用意できれば良かったんだけど……」
「あら、そんなの、行人さまが私に子宝を授けてくだされば充分ですよ、ほほほのほー」
「こ、こここだからぁっ!?」
ぺたーっと寄り添いながら言うあやねの言葉に、行人が素っ頓狂な声をあげる。
大人の女性らしい(?)揺さぶりが成功したあやねは、クスクス笑いながら手を振った。
「あはは、さすがにそれはまだ早いですけど、行人さまにはお願いがあります」
「か、からかわないでよ、もう。……それで、お願いって?」
「それは〜、おめでとうのキスです。ちゅ〜です。んむぅ〜〜」
乙女チックに手を組んで、突き出した唇をむにゅむにゅ動かして迫るあやね。
いつものちょっと間違ったキスのおねだりに、行人は苦笑して言葉を返した。
「……キスだね、いいよ」
「んむ〜〜、……ええっ!?」
キスの真似をしていたあやねが、言葉の意味を理解してビックリする。
まさかオッケーがくると思ってなかったあやねの肩に、行人が手をかけた。
巫女服越しに伝わる手の力強さ。瞳を真っ直ぐに見つめられて、息が止まる。
「い、いくっ……」
「あやねも、お姉さんになったんだもんね。ホラ、目を瞑って……」
頬をさらっと撫でられて顎の下に折り曲げた指が添えられる。
くんっと顎を持ち上げられたあやねは、心臓をばくばくさせながら震える瞼を閉じた。
(キ、キ、キス、キスをする、事故じゃなくて、ちゃんと、いいいい行人しゃまとキスっ……)
頭がぐるぐるになって何も考えられない。頬も身体も火照ってしまい、くらくらとしてしまう。
(し、死んじゃうほど恥ずかしいし、ちょっと怖いけど、でも、行人しゃまとならっ……)
瞳を閉じたせいで、意識を集中した唇の感覚が特に鋭敏になり、期待に震えている。
ガクガク震えながらキスを待っていると、頬にチュッと柔らかなものが触れた。
きょとんとしながら目を開けると、顔を真っ赤にした行人が笑っていた。
「その、ほ、ほっぺに、した、よ。……それにしても、震えてるようじゃ、まだまだお姉さんには遠いかな?」
頬に手を触れてぽかんとしていたあやねが、言うほど余裕のない行人の言葉に唇を尖らせる。
「行人さまのいじわる! うううーーー! せっかく覚悟したのに〜〜〜〜〜!!」
「え、覚悟って……」
「!! な、なんでもないです、じゃ、確かにプレゼントは頂きましたーーー!!!」
ぎくしゃくしながらダッシュで消えるあやね。行人は頬を染めて呆然としたままそれを見送った。

そしてダッシュで消えた先では、「ぐはっ、お姉さまっ……じ、時間差……!!」
時間差で藁人形に釘を刺されたあやねがダイイングメッセージを地面に書いていた。